原 恵子さん


プロフィール

原恵子さん 本名同じ。昭和19年4月18日東京都生まれ。昭和35年3月、玉川学園高等部を中退して宝塚音楽学校に入学。同期の梓みちよと共に、2年間声楽を勉強。昭和37年4月、念願の宝塚歌劇団・花組に娘役として入団、環木織(たまきしおり)の芸名で三年間舞台を踏んだが、在団当時から素直な演技力を買われ、NHK・TV「泉は枯れず」のレギュラー、梅田コマの「親子善哉」と、他流試合も多かった。

たまたま写真家・大竹省二氏のモデルになったのが縁で、藤本真澄プロデューサーの目にとまり、「歌より踊りより芝居がやりたい」の希望もあって、理想の女優像・岸恵子をめざして、昭和40年10月1日付で東宝と契約を結んだ。

身長=157センチ、体重=44キロ、バスト=80センチ、ヒップ=87センチ、学生時代からペットネームはハッコ。東京新宿の呉服屋さんの長女で、バラード的な歌、シャンソン、日舞(花柳流)を好む反面、スポーツカーの運転、水泳など活動的なお嬢さん。好きな季節は秋、色はオレンジ系統。

(参考文献・東宝株式会社「劇場宣伝心得帖」1965年No.12)


主な出演作(と役柄)

映画
【1966年】
『社長行状記』…原田伸子(既製服メーカー・栗原サンライズの秘書課員)
『続・社長行状記』…原田伸子(同上役)
『何処へ』…山中圭子(中学教師。同僚の坂本先生/久保明と結婚する)
『お嫁においで』…つね子(魚屋の娘。タクシー運転手・野呂高生/黒沢年男と恋仲になる)
『石中先生行状記』…谷中のぶ子(酒屋を営む谷中勘助/小栗一也の娘で、安藤書店の息子・義雄/勝部演之を愛している)
【1967年】
『社長千一夜』…大野由紀子(庄司観光KKの秘書課員)
『続・社長千一夜』…大野由紀子(同上役)
『爆笑野郎・大事件』…若い女・慶子


『お嫁においで』より、黒沢年男さんと。

テレビ
【1966年】
NTV「新・三等重役」

1967年】
CX「フレッシュマン」
CX「御存知からす堂」

【1968年】
TBS「オレとシャム猫」(8話「地獄のモードに明日はない」ゲスト)…ミキ(拳銃密売団の一員)
【1969年】
NTV「東京バイパス指令」(16話「黒い対決」ゲスト)…バーの女

 
「東京バイパス指令」16話より、夏木陽介さんと。

舞台
1966年】
日劇「島和彦ショー」(9月3日〜9日)
【1967年】
日劇「新春スタア・パレード」(1月1日〜3日)


関連記事紹介

(「東宝映画」誌1966年2月号「スターのずいひつ」より)
映画初出演 原恵子

友の会の皆さま、こんにちは!
お正月映画『社長行状記』で森繁社長の秘書で新入社いたしました原恵子です。
宝塚の温室を抜けでて今度はもっと広い野原を駈けめぐってみたい、こんな念願のもとに、今年は大いにファイトを燃やしております。
さて、新春のスクリーンを飾るのにふさわしい大型喜劇「社長シリーズ」の『社長行状記』は23本目とのこと。まさに伝統あるドル箱作品でデビューできる私は本当に幸せ。あらためて、感謝の気持をもって大いに力強く歩んでゆきたいと思います。

* * * * 

初出演の日-----。
カラッと晴れわたった大空を見上げて深呼吸。待ちに待った今日という日。いよいよ『社長行状記』のクランク・インで私は初めてカメラの前に立つ。ベテラン小林さん、フランキー堺さん、司さん、久慈さんたちに囲まれて、ボーリング場でのロケーション。
ハイ撮影開始。“原クンお待ちどうさま”助監督さんが私の出番を知らせて下さる。一瞬身がひきしまる。なんとも言えない緊張感。嬉しさと不安が入り交って、固く握りしめた掌に汗を感じながら、キャメラの前にのぞむ。

今お会いしたばかりのフランキーさん、そして小林さんが、もうずっと以前からの知り合いだったような雰囲気で暖かくいろいろアドバイスして下さる。松林先生の細やかなご指導。”肩の力をぬいて自然に、普段君が話すようにね-----”催眠術にかかっているような、ただ無我夢中のうちに終わってしまった。ふっと思わずホッペを抓る。“イタイ”ああ、やっと我にかえる。一日目が終ったのだ。もう一度自分に言い聞かせてみた。なんだかとても清清しい。初日の気持ちとはこんなものなのかしら?映画とはこういういうものなのね。ひとりでに笑いがこみあげてくる。
私はお芝居が好き。大好き!
初めての経験、そして、この新鮮な感激をいつまでも-----。

* * * *

これは、映画に初めて出演した日の日記です。
百八つの鐘の音に1965年を送って、迎えたばかりの1966年、私はじっと此の年を見つめる。そして、希望と情熱をもって努力精進しよう。


「東宝映画」誌1966年4月号「66のホープたち」より

原恵子

眼をとじると私の瞼の裏に明るいコバルト色のスクリーンが広がるのです、今の私の数々の希望が------。それはいろんなものを鑑賞し観劇し創造し探求して、自分自身に栄養をあたえる時なのです、そこに私なりの個性、人間性を自然な形で表現出来るよう努力したい。そしてどこまでもタンポポのわたげのようにやさしい女らしい心を持った演技者でありたいのです。


「東宝映画」誌1966年9月号「某月某日」より

今年正月の『社長行状記』で新珠三千代、雪村いづみ、司葉子、藤山陽子等に継いで森繁社長の秘書としてデビューした原恵子さん。スクリーンでは三月に封切られた『何処へ』以来ご無沙汰していますが、その後、宝塚で『石中先生行状記』を撮り上げ、アジア映画祭で韓国へ行き、その後友の会行事として北海道から北関東四国九州の各支部を廻って、その明るい性格と洗練されたマナーで、会員の皆さんとすっかりお馴染みになりましたが、今度宝塚出身である歌えて踊れてお芝居が出来る実力を買われて、九月上旬有楽町の日劇で初めてのミュージカル舞台出演、それが終わって、いよいよ来年のお正月作品『社長千一夜』に撮入。いそがしいことです。




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